日常の非日常 ge-cの頭ん中
最近、超超個人的に知った衝撃の事実をここで発表したいと思う。人によっては、普通の事じゃんって思う人もいれば、僕みたいに衝撃を受ける人もいると思う。 まず、ろたすのスタッフさんにこんな質問をしてみた。「幸せを月に何回ぐらい感じますか?それはどんな時ですか?」というもの。 という訳でこれを読んでる皆さんも、ちょっと考えてみてほしい。 どうでしょう?自分の答えが決まってから、これ以降を読んでほしい。あなたは月に何回ぐらい幸せを感じますか? で、ろたすのスタッフさんに聞いた答えは、9人中7人が「毎日」と答えたのだ。毎日一回は「幸せ」というものを感じてるらしい。これに僕は衝撃を受けた。 では、どんな時に幸せを感じるのか?人それぞれ答えは違うけど、箇条書きであげると、 ・友達と話してる時 ・美味しいものを食べてる時 ・寝る時 ・やらなければいけない予定が全部済んだ時 ・自分の好きな事をやってる時 ・お客さんが美味しいって言ってくれた時 ・人に何かをした(与えた)時 などなどがあがった。で、僕の答えはどうかというと、「幸せは一年に一度ぐらいしか感じないもの」なのだ。 確かに、友達と話してる時は楽しいし、美味しいものを食べてる時もいい時間だけど、それが幸せと言ったら、幸せではないと僕は思っていた。 その事実が僕的に衝撃だった。人生はプラマイゼロだと思ってる人間だから、幸せをたくさん感じるって事は、それと同じだけの嫌な思いを感じてるって事だから。毎日幸せを感じてるって事はめっちゃ生きるの大変じゃん!と思ってしまう。 僕はよくスタッフさんにいつも「一定」ですねと言われる。波がない。落ち込む事もないし、テンションが上がることもない。だから「何を考えてるかわからない」とも言われる。 でも、振り返ってみれば、元々そういう人間だったといえば違って、10代、20代の頃は、浮き沈みが多かったし、基本生きるのがめちゃくちゃしんどかったし、その分、幸せもたくさん感じていた。 それが今は、基本ぜんぜんしんどくないし、嫌な事もそんなないし、その分大きな喜びもない。僕の場合は、ほんのちょっとだけ不幸せのところで一定で生きていて、その一年分蓄積した不幸せが、一気に幸せとして年1でぐわー!と感じるイメージなのかもしれない で、弟(ラーメンやんぐ店主)とこの前、4時間ぐらい話して、気づいたんだけど、自分はいつも浮き沈みのない人間でいつも「一定」と思っていたけど、それは実は違くて、その感情を隠すために意識で蓋をしてるだけで、自分の本当の大切な心の部分を押し殺しちゃってる。意識でやってるうちにそれが無意識レベルでできるようになってしまった。 だから、自分にもっと正直に、嫌な事は嫌だと思わないといけないし、「これぐらいでいいや」と我慢するのが当たり前になっちゃってる事がたくさんあったり、それって自分を大切にしていない生き方だと思った。 それとは逆に僕の弟は本当の意味で「自分を大切に」生きてる人だから尊敬するんだよな。自分自身にいつもベストを尽くしてる。自分がどんな人間でどんな事を喜びどんな風に生きたいかいつも考えている。 僕は自分の心を押し殺すあまりに、ちょっと不幸せな状態を「ふつう」だと思い込んでいつも生きてたんだなと思った。 だから、これからは自分自身をもっと大切に、もっとベストを尽くしていこうと思った。例えば、食べるものは何でもいいやと思ってテキトーなお店に行くのはやめるとか。もっと上質な服装を着てみるとか。妻の事を思いやって夫婦関係をよいものにするとか。音楽ライブに行くとか、映画をたくさん観るとか、芸術に触れるとか。今までこの程度でいいやと思って生きてた事を諦めないようにする。それが大事じゃないかなぁと思ってきた。 その在り方が変われば、ろたすも、もっともっと良くなっていくと思う。そんな訳で今日は長くなってしまったけど、最近の僕の変化です。最後まで読んでいただきありがとうございます。ではまた〜。