ばやとエッセイ
適材適所。得手不得手。いろんなニュアンスがあると思うけれど、人には個々に、
できる事、できない事があると思う。
僕はよく考え込む癖があります。日常の些細な事や、人がそんなんどうでもいいって、言う事まで考えてしまいます。
それは、良い要素も悪い要素もあると年を重ね知りました。
考えてしまうから、時に疲れたり、無意識のうちにダメージを受けていたり、良くない状態(?)に陥ったりします。
でも、考えてしまうから、自分なりの答えを常に持っているし、人の気持ちはとても大切にしたいと思えるし、何かやる時も後悔は少ないように思います。
一方で仲良い友達のみんなには、
全然考えないという人もいます。
考えないというのは僕の中では不安な事だと思っていましたが、彼らにはその魅力をたくさん教わりました。
深く考えない事の良さは、行動がとにかく早いし、自分の気持ちに素直、また自分が想像できる範囲を超える嬉しい事に出会える(逆も然り)
と「考えない」も良い事があると。
上記を踏まえて、「考えすぎ」も「考えない」も
どっちも良さがあり悪さがあるから、
こっちの方が良いなんてないんだと僕は思います。
でも、これすら考えてるから僕は自分の性質として、「考える」人なんだと思います笑笑
僕は「考える」ができると仮定して、
「考えない」ができないとわかりました。
そこで今回のタイトルにもある、「人を頼る」ことの意味を自分なりに考えました。
人を頼る、言葉にするとなんだか迷惑をかけるような感じでハラハラします笑だけど、そもそも迷惑をかけないなんて不可能な話です、
迷惑はかけてしまうし、逆にかけられもします。
でも、かけてしまった迷惑は、かけられてしまった迷惑の時に取っておけば良いのだと大人になって理解しました、、助けてもらったら、全力で助けてあげる、助けてあげたら、全力で助けてもらう、そうやって「相互扶助」する事を
人を頼るって事なんだと思います、助けてばっかも助けられてばっかでもなく。
なぜ、こんな話をエッセイにしようと思ったかというと、僕は最近「人を頼る」をしました。
ろたすで、なんとなくだけど、エッセイを盛り上げたい(?)気持ちがあって、でもそれは僕1人では無理だと感じたので、ろたすスタッフの
カイト君、コウシロウ君に「一緒にエッセイ書いて欲しい」と頼りました。2人は心良く引き受けてくれました。本当にありがたい事だなと思っています。
僕の「できない」を2人に頼って、「できる」
になれた気がします笑
だから、2人のもし「できない」があった時は全力で僕の「考え込む」をして頼ってもらって、
「できる」にしてあげれたらなって思います。
人を頼って頼られていきたいとおもいます。笑