社長に訊いてみた
ge-c どうも。WEBろたすの新しいコンテンツ「社長に訊いてみた」を始めます。第1回目のゲストは僕の修行先である麺屋中川の大将「中川隆一」さんです。最初にこの企画をやろうと思ったのは、昔「しずめん!」というサイトをかなり高橋さんがやっていて、「田ぶし」の社長さんにインタビューして記事をあげていて、個人的に凄く面白くて、社長さんの考え方が知れて。 中川 あ~、わかる。いろんな社長さん達と話していると、いろんな考えがあって面白い。だいたい社長さん達みんな、考えがプラス思考だし聞いていて、いいよね。 ge-c で、自分もいつかやってみたいなと思っていて、今日初めてカタチにしてみようと思います。 中川 いいと思います。 ge-c これを読んだ人が、自分が「楽しいなぁ」って思ったように感じてくれたらいいなぁと思って。格好良く言うとエンターテイメントをつくりたいなぁなんて(笑)。最近、ホリエモンの本読んだんですけど、近い未来、AIが代わりにいろいろやってくれるから、どんどん人が働かなくてよくなるみたいな。そうなったらスポーツとエンターテイメントしか残らないみたいなこと言ってて。まぁ極端に言うとですけど。そんなのにも影響されたのもあるんですけど。はい。では、最初の質問ですが、大将の生い立ちは? 中川 どの辺から? ge-c 生まれた時から。 中川 そうだね。うちは、外見、周りの人から見たら、貧乏な家(笑)。凄くぼろいアパートに住んでいて、俺らの年代でもあんまりいないと思うけど、風呂がアパートの外にあって、、、 ge-c え!!? 中川 10件あるのね。アパートが。で、お風呂が外に2つあるの。で、半分半分でお風呂共同なの。 ge-c へぇ~!そうなんですねっ!! 中川 そうなんですよ。清水町の柿田にあったんだよ。そこに5年生まで住んでいたんだけど。風呂を窓から見て、今電気付いてないから、他の人が入ってないから行くのね。 ge-c へぇ~(笑) 中川 そういう風呂だったの。そういうアパートに住んでいて。弟に母親が「洗濯するから脱いで行きな」って言って、弟が裸で風呂に行こうと思ったら、道路沿いを歩かなきゃいけなくて同級生が歩いてたから影に隠れたとか言って(笑)そんなことをしてたんだけど。まぁ本当に貧乏だなぁと思っていた。思っていたのね。でも、実はその間、母親が凄い貯金とかして、貧乏に見せていた生活。俺らにはそういう感じの生活をしていて。まぁ、5年生の11月に引っ越したのよ。愛鷹の方に。父親の実家に戻ったような感じ。だから、うちは貧乏だなって凄い思っていた。 ge-c それはいつまでですか? 中川 中学生ぐらいまではずっと思っていた。友達とか誕生日会とかやるじゃん。人呼んだり、呼ばれたりして行くわけよ。でも、うちは呼べない。とか思ったりして。(笑)うちは呼んじゃいけないとか思って。俺、呼んだことないもん、だって。 ge-c 外観がですか? 中川 外観もそうだし、うちは貧乏だから、人を招いてそんな事できない。みたいな。そんな思い(笑)でも、俺はその時に絶対稼ぐぞ!って思ったの(笑)大人になったらこんな生活はしたくないって。ぼっとん便所だったしね。汲み取りに来るわけよ。台所の隣がトイレだったの。だから、臭いんだよ。 ge-c 浄化槽をたまに汲み取りに来るあの匂いですよね? 中川 そう。あの匂い(笑)。まぁ、そんな生活だったんだけど、けっこう欲しいものも我慢してたよね、自然とね。ていう反動が、弟を見ると感じるんだよ(笑)反動で買いまくるみたいな。でも、まぁ、なんでも与えられるじゃん、今の子って。なんでもあるっていう。我慢も大事かなって、最近は思うけどね。だから良かったとは思ってるよ。ぜんぜん貧乏の時も楽しいっちゃ楽しいじゃん。だから、20代で修行に行って、まぁ安い給料で色々覚えるためにやってたけど、その時はお金もあんまりなくて東京で暮らしていて、でも若さで何か楽しいよねっていうのがあるから、そういうときはお金の事あんまり考えずにやりたいことやってると充実してて楽しいなっていうのは、そのへんとも繋がってお金じゃないなっていうのも思うよね。 ge-c はい、はい。 中川 で、まぁそんな感じの小学校時代を送り、そこで出会った友達、まぁ一人今でも会ったりするけど、強烈な友達もいて。それと一番仲良かったもんで。結構ぶっ飛んでいで。今見ても変わってるんだけど、一緒にいて面白いんだよね。そういう友達といたせいか、前向きだよね。その友達、まぁ後ろ向きな事は言わないんで。その部分もいい影響だったかな。向こうは悪いやつになっちゃうんだけど。 ge-c 悪いやつ? 中川 先生の言う事も聞かないし。自由にやっちゃうから。で、俺は外見を凄いいい子にしてるから。 ge-c はい(笑)僕と一緒ですね。 中川 うん。だって、小5のさぁ11月に引っ越して、小6の春に児童会長だよ。凄い良い子でしょ(笑)めっちゃ良い子でしょ。そう。外面を鍛えたね。そっからね。 ge-c 外面いい場合ってどこで発散してたんですか?家ですか? 中川 それがさ、何でもそうだけどさ、ずっとそうしてるとさ。染みついてストレスにならなくない。 ge-c なるほど~。はい(笑) 中川 わかる~? ge-c それ最初からできたんですか? 中川 結局、裏では、、、ボロクソに言ってたりしてたから、友達と。だから、友達は知ってるさ。お前は悪いやつだっていうね。 ge-c (笑) 中川 何人かは知ってるんだよね。正体を(笑)。そういうので結果、発散してたのかな。で、中学入ってから高校終わるまでは部活ばっか。結果楽しかったのかな?辛かったけど。 ge-c 辛かったけど、楽しかった?けっこうしんどかった?きつい練習? 中川 きつい練習と、中学の時の先生が凄い熱心な人で、もう超走らされたし、それにずっと耐えて。1500メートルを毎日走らされるの。毎日タイム計って。憂鬱でしょうがないさ。 ge-c 僕、一個覚えてるのが、、、麺屋中川で働いてた時の最初の頃、体力がなくてすぐに疲れやすかったから、大将に言われたのが「部活でちゃんと頑張ってきた?」って言われて、部活である程度頑張ってこないと体力ないんじゃないかみたいな。。。 中川 そう、なんかね。それたぶんね。本当に頑張ったつもりでいたの。それより頑張ってる人いると思うけど、自分なりに限界を感じながらやってたの。あれでその後の体力は、、、 ge-c そこで形成されたと。。。 中川 うん、あと根性はついたよね。だから、そこで耐えれるから。大丈夫大丈夫って言えるようになったのはそのおかげかな。その先生には凄い感謝してる。凄い怖かったけど。 ge-c 凄く怖いけど、愛がある。 中川 うん、そんな感じ。 ge-c 子供時代、まだ成人する前のラーメンとの出会いってありますか? 中川 小さい頃行ってたのは「雪ん子」だよね。親に連れられて行ってた。 ge-c 小学生の時? 中川 そう。当時、それぐらいしかなかったじゃん。あと、札幌ラーメンの「時計台」とか。三島の国1の。 ge-c あの、今のココスのあたりにあったやつですよね。 中川 そうそう。それも寄った覚えがある。結果、昔はそういう味噌ラーメンばっかりだったかな。ラーメンが凄い好きって訳ではなかったかな。ただ、調理とかは好きだったから、小学校3、4年の時に友達の家に寄って何かをつくるみたいな。 ge-c あ、そうなんですね~。それ初耳です。 中川 昔から好きだったんだと思う。なんかつくったりするのが。中学卒業したら、中華街に修行に行きたいって言ってたんだけど、そこそこ勉強できちゃったもんで(笑)。。。ていうのは嘘で。 ge-c (笑) 中川 親の期待もあり、高校、大学行きたいなぁってなり。でも好きだったんだよ。ほんと勉強できなかったら行きたいと思うぐらい好きだったんだけど。で、東京に行ってみたら、そこで初めてラーメン屋が行列をつくってるみたいな田舎ではありえない現象が起きてて。ラーメンの専門店がけっこうできてた頃で。凄いなぁと思って。それでラーメン屋でバイトしてみたいと思って。引っ越した先で歩いてたらバイト募集の紙が貼ってあるラーメン屋さんがあって、それが「喜善」で。 ge-c 外に(募集の紙が)あった? 中川 そう。で、すぐそのまま店に入っていって、バイト募集してますか?って訊いたら、「あ~してますよ」ってなって、すぐその場で面接の日取り決めて、そっから行くようになって。 ge-c へ~。 中川 で、やってみたら、楽しいなって。。。また、きつかったんだけど。土日とかも朝から夜までずっと働いてたし。 ge-c 学生やりつつ、休みの日? 中川 そうそう休みの日。で、平日も夜は入ってとか。土日はずっと入るじゃん、通しで。日曜日の終わった後に、帰りにコンビニでプリン買って、ご褒美で食べるのが好きだったっていうね。そんな感じだったよ。結果やっぱね。そこで出会った店長と社長さんと部長さんとかが、その人達が良かったのかな。それで続けられたっていうのがある。で、そういうのを色々教えてもらって。 ge-c そういうのっていうのは? 中川 要はね。総合すると、「人が大事ですよ」って言う人たちだったの。まぁ、確かに会社だから利益を追求していくのもそうなんだけど、その根底に人を大事にしてやって生きていかないと、人との関わりの中で商売もしてるし、生きてくわけだから、そこは大事にしないとダメだよっていうことを教えてくれる人たちだった。そういう人に大事にしてもらえたから。それが一番大きかったかな。 ge-c 大将が怒られる事とかあったんですか? 中川 あるある。ピンとこない事も最初の頃はあるんだけど、よくよく考えていくとやっぱりそうなんだなぁと思って。損得だけじゃないところってあるじゃん。そういうところで大事にする人たちだったから。凄い大事にされている感が伝わってきたんで。働かせてもらえて有難いなぁって思えたのがよかったかな。ラーメンが好きでいろいろ食べ歩いてラーメン屋さんをやりたいって思ったんだけど、大学生のときにね。でも、まぁ親の手前もあり、一浪して私立の大学に入り、めっちゃ金掛かるじゃん。私立の理系に入ってるじゃん。まぁ金掛かってるさぁ。それでラーメン屋になりたいって言えないじゃん。まぁ最初ちょっと言ったんだけどね。ちょっと言ってみたんだけど。「俺、ラーメン屋やりたいなぁ。。。」って言ったら、母親が「何バカな事言ってんの!」って、終わったんだけど。 ge-c (笑) 中川 あ~、これは無理だなぁと思って。で、一回こっち帰ってきて就職して、一年後にちょっと母親に「俺、やっぱやりたいわ。」って言ってら、そんなにやりたいならやってみればって事で、気が変わらないうちにってすぐ店長に電話して「もう一回修行させてもらいたいです。本業でやりたいです」って言ったら、受け入れてくれて、じゃ行きますってなって。 ge-c は~、一年後にだったんですね。 中川 そう。だから一年しかこっちで就職して働いてない。 ge-c けっこう、お母さんを説得したんですか? 中川 いや、え~とね~。ちょろちょろ言ってたんだけど。最後に真剣にやりたいって言ったのと、、、その頃、親が気に入らない女と付き合ってたのかな俺。行くと別れるなって思ったんじゃない(笑) ge-c (笑) 中川 そういうのもあったかもしれない(笑)許した理由の一つに(笑) ge-c 別れさすために。 中川 うん。東京に離れちゃえば、別れると思ったんじゃないかな。 ge-c そこ!?(笑) 中川 (笑)わかんないけどね。 (つづきます。)