古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

朝、目がさめると真っ白な天井が見えた。
寝ぼけ眼で顔を横に向けると、天井に取り付けられた大きめのファンがクルクルと音もなく回っていて、部屋の空気を循環させている。
身体をむくりと起こした。綺麗にクリーニングされたシーツを剥がし、スマホを起動させる。朝7時。パリの夜明けだ。

昨夜、シャルル・ド・ゴール空港からパリ市街行きのバスに揺られ、1時間ほどかけてこのゲストハウスにやってきた。
そこはフロントが明るくてわかりやすく、降ろされたバス停からも迷わずにチェックインすることができた。
大学生くらいだろうか、肌の浅黒いお洒落な若者が優しい英語で対応してくれ、一安心したのを思い出した。

このゲストハウスはマンションのようにバカでかく、たくさんの旅行客を収容しているようだった。
フロントを進むと巨大なオープンバーが控えていて、爆音のなか大勢の若者がグラスを傾けている。
彼らの楽しげな様子を尻目に、スーツケースを引きずりながらエレベーターに乗った。指定された部屋に入るなり、長旅で疲れていた僕はそのままベッドに横たわり、泥のように眠ってしまったのだった。

広い室内に、2段ベッドを4つ収納した8人部屋。まだ朝だというのにバタバタと荷造りをしたり、部屋の備え付けの洗面台で歯を磨いている宿泊者の音が聞こえた。
と、向かいの2段ベッドのハシゴにピンク色のブラジャーが吊る下げられているのが見え、いきなりドキッとしてしまった。昨夜は室内灯が消えていたので部屋の状況がよくわからなかったのだが、どうやらこの部屋は男女兼用らしい、ということをその時僕は初めて知った。
そのブラの持ち主は就寝中らしく、ベッドに取り付けられたカーテンがピッタリと閉じられていた。
このようなタイプの宿に宿泊するのが人生で初めてだったので、その人間関係の距離の近さと大胆さに、僕は思わず狼狽してしまった。

気を取り直して着替えを済ませ、部屋を出て一階のバーに向かった。
昨夜若者たちのパーティ会場になっていたその場所は、今は美味しそうなコーヒーの香りが立ち込める朝食会場に様変わりしていた。大きなバーカウンターには、細かくカットされたバゲッド、脂のよく乗ったハム、スライスされたチーズにジャム、シリアルフードが山盛りの状態で広げられていた。
早起きをした旅行者たちがその前に立ち、皆思い思いに食べものを皿に取り分け、テーブルに腰掛け口に運んでいる。思わず腹が鳴った。

前日の飛行機で食べた機内食以来、食べものを口にしていなかった僕は、さっそく彼らの列に並び、大きなマグカップにコーヒーを注ぐと、山と積み重なったハムとチーズ、バゲッドを取り皿に盛り、席に着いた。
目の前に積まれた、現地の食べものたち。ハリーポッターに出てくるホグワーツ魔法学校の食堂にいるようだった。

バゲッドをナイフで半分に割り、そこにハムとチーズを挟んで一思いにカブリついた。とてつもなく美味かった。ハムも分厚くてジューシーだし、チーズも香り高い。何よりバケットが香ばしくて美味かった。

僕の滞在したこのゲストハウスの宿泊料は安く、しかも朝食込みのプランになっている。日々大量の宿泊者を受け入れ、彼らにこの食べ放題の朝食サービスを提供しているのだ。
日本ではこういった質と量のチーズやハムを安価に仕入れることはむずかしいだろう。フランスの食の豊かさを感じた。


またたく間にお皿の上のものを平らげてしまうと、それらをおかわりしに再び列に並び、バゲットに手を伸ばした(バゲットの籠の隣にHERSHEY'Sの大瓶が置いてあったので、それを使って今度はチョコサンドを作った)。
それを食べてコーヒーで流し込むと、ようやくひと心地ついた。
ここに来るまでにあらゆる場面で気を遣い、体力を消耗したので、余程腹が減っていたようだ。

満ち足りた気分でコーヒーを啜りながら、物思いに耽った。バーの壁に取り付けられたスピーカーから、当日流行っていたHOCUS POCUSの『HIPHOP?』が流れていた。
その下で、さまざまな人種の人たちがゆったりとくつろいでいる。

ここには僕を知る人間は一人もいない。こんなにたくさんの人で溢れかえっているのに、僕しか僕を知る者がいない。
その絶対的に放って置かれた感覚が、妙に心地よかった。狂おしいほどの孤独を感じた。
一人で東京にいる感じに似ていたが、その何倍も濃かった。自分を少しだけ誇りに思えた。

ふとゲストハウスの入り口に目をやると、外が真っ暗で思わず目を疑った。
あわててスマホを見ると、パリ時間に合わせた時計がたしかに朝の8時を刻んでいる。
後で知ったのだが、ヨーロッパの冬の日照時間は極端に短く、夜が長い。この日はたしか、朝8時30分を過ぎたあたりでようやく空が白んできた。

見通しの悪い暗い朝の中、たくさんの旅行客がゲストハウスの玄関を行き来していた。
ベッドルームでもいそいそと忙しなく荷支度をする宿泊者がいたし、一体なんの騒ぎなんだろうと思いながら眺めていると、どこかのテーブルから、

「彼らはルーブル美術館に行くんだ」

という話し声が聞こえてきた。
ルーブル美術館は毎日激混みで、彼らのように早朝から現地に向かって並ばないと入館できないらしいのである。
さすが観光大国。名所名店に大行列を作って並ぶその光景を想像し、何となく日本の行列文化を思い出してしまい、自然と笑みがこぼれた。

さて、僕も色々見てやろう。残りのコーヒーを飲み干すと席を立ち、寝室に戻った。

 

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