古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

日本からはるばるパリの中心街にやってきたものの、目的地が特になかった僕は、夜明けを待ちながらそこら辺をブラブラすることにした。

宿泊していたゲストハウスの向かいにカフェがあったので、まずそこに入った。ダウンライトの落ち着いた雰囲気の店で、カウンターではシャツベストにスラックス姿のムッシューがコーヒーカップを磨いていた。
店の天井の隅っこに取りつけられた小さなテレビは、どこかの国のサッカーの試合をしきりに実況している。
その下で、地元民と思われる革ジャン・スウェット姿のおじさんがコーヒーを啜りながら新聞を読んでいた。

フランス語で「コーヒー下さい」と言いたかったが、僕はフランス語が一切わからなかったので「コーヒー、プリーズ」とドリフのコントのようなアホ丸出しの英語で伝えた。
それを聞いたムッシューは嫌な顔一つせず僕にコーヒーを淹れてくれた。テーブルに座ってゆっくりとそのコーヒーを飲み、2ユーロ払って外に出た。

朝9時を過ぎてようやく空が白んできた。通りにはまだ光が射し込まないものの、パリの街並みを築く石造りのアパルトマン(集合住宅)のバルコニーや窓ガラス、背の高い街路樹の枝先は早くも陽光を受け、キラキラとした輝きを放っていた。
夜明けとともに街の全貌が明らかになる様は圧巻だった。極限にまで下がった冷気と、整然と連なる歴史的建造物の荘厳さが織りなす技だろう。
暗幕が下り、街が目を覚ました瞬間だった。寒さは変わらず厳しかったものの、朝陽を浴びるパリの街区の美しさは忘れられない。

その頃には道路にもだいぶ車がひしめいていた。そのほとんどがタクシーで、観光客や車の流れに逆らうように僕は石畳の道を進んでいった。

当時の旅は、観光を主な目的とせず、僅かでもその旅先での暮らしを実践したいという気持ちが強かった。
つまり、いかに現地での生活に溶け込み、満喫できるか。
そういった考えの中で、旅先にたどり着いた僕がいつも最初にやっていたことは「旅先で髪を切る」ということだった。

観光客の多くがルーブル美術館やノートルダム寺院に向かっている中、僕は人知れずパリの散髪屋を目指し始めた。
カラフルな軒先のカフェを何件もやり過ごし、新聞に雑誌、スナック菓子やキャンディ、ジタンをはじめとするたくさんの煙草を揃えたキオスクを通り過ぎ、色鮮やかな花屋さんに目を奪われながら、パリの街のより深くへと潜っていった。

街を彷徨うこと1時間、とある裏通りにこじんまりとした佇まいの散髪屋さんを見つけた。スマホで検索すると、この界隈はパリ18区、モンマルトルと書かれている。
店の中を覗くと黒人のお客がチラホラいて、ふと移民の人のための床屋なのかな、と思った。ダークスーツを着た、長髪の女性店員が黒人客を散髪台に座らせ、ドレッドヘアを編み込んでいる最中だった。

ここにしよう。実はこの店を見つけるまでにたくさんの小洒落た美容院を見かけたが、どこも敷居が高そうで入る気になれなかった。だけどこの店は、エイリアンである日本人の僕でも受け入れてくれそうな気配がした。

僕は勇気を出して店のドアを開け、受付のフランス人に身振り手振りで髪を切りたいことを伝えた。
その人はすぐに了解してくれ、僕はすんなりと散髪台へと案内された。店内は暖房が効いていて程よく暖かかった。
鏡の上にはリースが飾られ、クリスマスの名残りのようなものを感じさせた。
 
しばらく待っていると、先ほどドレッドヘアをこしらえていたダークスーツの店員が背後に立った。
彼女は僕の髪を指で揉みほぐしながら、いくつかフランス語で語りかけてきた。
何を言ってるのかサッパリだったので、適当に「ウィ、ウィ」と返事をしていると、彼女はそこで大きく頷いた。頷いたあとで、僕の髪を猛烈な勢いでバサバサと切り始めた。その切り方があまりにも豪快だったので、僕はまるで植木鉢になったように固まり、固まりながらこの勢いはもしかしたらスキンヘッドにされるんじゃないか?という恐れを抱き始めていた。

その恐れも杞憂だったらしく、大人しく刈られているとやがて彼女のハサミを操る手が止まった。
櫛で形を整えたあと、ポマードのようなもので髪の流れをつくってくれた。
そしてフランス語で一言何かを発すると、僕を立たせた。どうやら終わったらしい。
光の速さで僕の髪をカットしてくれた彼女の腕前は、中々のものだった。ギャルソンカットの出来上がりだった。

彼女と受付のフランス人にメルシー、と挨拶をしてお金を払い、外に出た。
年末の冷たい風が、新しくできた髪の生え際を優しく撫でた。髪を切ると気持ちが新しくなるから不思議だ。身も心も、パリの街に溶けていきそうなくらい軽かった。
旅はこれだからやめられないのである。

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