古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

28歳の年の瀬、訳もなくパリへ行った。
その頃、僕の周りの友人たちは一人旅がブームだった。
皆競うように旅へ出かけていった。ある者は日本の離島を攻めたり、ある者は長野の山奥に籠って山伏のような暮らしを実践した。そして海外へ向かう人間もたくさんいた。
30歳を目前にして、皆何かに駆られるように日本を、世界中を右往左往している時期だった。そして誰もが想像し得ない奇想天外な体験をして、それを自分の戦闘力に変え、周りの友人たちにハッパをかけつつ次の旅先へ向かう、というようなことをお互いに、くそ真面目にやっていた。

当時やっていた仕事をようやく納め、一年の業務を締めくくると同時に僕は成田空港に向かった。
空港のチェックイン含め、3~4時間ほどかけて上海の浦東(プードン)空港というハブ空港に到着。その後苦労しながら電車に乗って予約していたホテルにチェックインし、偶然外で見かけた定食屋でラーメンと餃子を食べた。
ついさっきまで日本の慣れ親しんだ職場で年の瀬の残務処理をやっていたのに、気がつくと上海の空気を吸っている。その辺りのフットワークの軽さは若さだろう。
まだ見ぬ新しい土地と、新鮮な体験に飢えていた。僕にとって28歳はそんな年齢だった。
上海の年末は容赦なく寒く、新調したコートのぬくもりが有難かった。ホテルへ帰って瓶ビールを煽って、寝た。

翌日。浦東空港から直行便に乗ってフランスへ向かう。機内用にと持ってきた本をバックパックから取り出した。
野田知佑、ジャック・ロンドン。C.W.ニコルに、片岡義男。ひらくだけで体温が高まる本。その頃は、読む本にまで旅を求めていたのだった。
20代の若者に訪れる、あの強烈な旅への渇望は何なのだろう。ここではないどこか遠くへ、一秒でも早く行きたくて、活字の中でも旅をさがしていた。
どこにでも行けるんだという自信と、目の前に広がる圧倒的な自由。旅が与えてくれる、人生賛歌のようなものに魅せられ、僕や仲間たちは取り憑かれたように目的地を目指した。
何回かの機内食を挟み、読書に疲れては眠り、12時間かけてパリのシャルル・ド・ゴール空港に着いた。
 
到着したとき、パリは夜だった。
寒空の下、空港で市街行きのバスを探して列に並んだ。
フランスは観光大国として有名で、毎年数千万人の人間が押し寄せる。そのバスの列も、様々な人種で構成されていて、最後尾に日本人の僕が混ざった。
その瞬間、遠くまで来てしまったんだという自覚が突然芽生えた。急に寒さを感じ始め、そして怖くなった。
ただの年末年始休暇だったので一週間という短い滞在のはずなのに、たった一人でヨーロッパの大陸に立っているという事実が恐ろしかった。
自分が塵になったような感じがした。ヨーロッパという広大な大陸に、飲み込まれそうになった。
ふと空を見上げた。星がきらめいていて、ウンと遠くへ来たはずなのに、なぜか親近感が湧いた。
ああ、空はどこも同じなんだなあ、と、そのときそんな当たり前のことを思ったことを憶えている。
旅路の距離と思考の深まりは比例する。旅の目的地は遠ければ遠いだけ良いし、遠くへ行けば行くほど、その旅の中で出会う様々な「気づき」もより多く、より良質なものとなる。
僕の周りの旅狂いたちが当時信じていた、暗黙の定理だった。
バスが乗り込んできて、ロータリーを明るく照らした。
ささやかなパリの生活が始まる。

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