古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

結婚をして人生の伴侶を見つけると、次第に「恋愛」という言葉から疎遠になっていく。
疎遠というか、無縁になっていくと言った方が正しいのだろうか。
「恋バナ」が遠く過去のものになっていく一方、ふとした時に知り合いから伺う「恋沙汰」や「恋愛相談」は、新鮮な風と淡い記憶をもたらしてくれる。

人によって恋愛の仕方というのは千差万別だと思う。僕は今年36歳になるけど、未だに恋愛が何なのかよくわからない。人生と同じくらいわからない。
そもそもよくわからないものなので、思春期は手探りでその「恋愛」とやらと直接対決しなくてはならず、大変苦しんだ。

身内に姉や妹がいなかった僕は、まず女性の生態そのものが謎だった。
異性を知る上で手元にあった教材は主に少年マンガで、その中の数少ない恋愛シーンから女性について学んでいくしかなかった。
極めて危険なパターンである。頭の中で女性にまつわるあらゆる幻想や偏見が生み出されていった瞬間だった。

そう言った劣悪な環境下で僕の恋愛指南役になってくれたのが、今思い返すと「らんま1/2」の久能帯刀先輩だったように思う。
登場人物のあかねや女らんまに日々稲妻のようなアプローチを送り続けるのだが、如何せん究極の二股野郎なのでギャグになってしまう。

だけど当時の僕には、久能先輩のあの分かり易すぎる恋愛の形が、複雑なパズルのある種の解のように思えてならなかった。そして久能先輩が作中に登場するたびに、僕は霧が晴れたような安心感を得ていたのだ。

当時子どもだったので二股をする意味がよくわからなかったのだが、とにかく好きな人ができたら久能先輩のような猛烈アプローチで女性に話しかければ良いんだ!という大いなる勘違いを胸に秘め、僕の恋愛屋形船は舵を切った。
どうか許してほしい。勘違いでもしなければ、この迷宮のような恋愛パズルなどやっていられなかったのである。

らんま1/2、久能先輩式猛烈アプローチ恋愛スタイルはというと、当然ながら上手くいく時もあるしいかない時もあった。
久能先輩から学んだ「気になった相手はとにかく褒めまくる」というれっきとした間違いに、それでも喜んでくれ、振り向いてくれる女性もいた。

しめしめと思ったものの、その後いつだか男友達の恋愛相談に彼女と一緒に乗っていたとき、ついウッカリ彼女の目の前で、

「気になる女性を振り向かせるには、いいかい?とにかく褒めまくるんだ」

とアドバイスしてしまい、家に帰ってからその人に、
「私にアプローチしてきた時も、そんな単純なこと考えてたの?」
と失望され、別れ話の原因の一つにされてしまった苦い思い出がある。
ラブコメ漫画で得た作法に則って恋をすると、自らの恋愛もいつの間にかギャグみたいになってしまうのが悲しい。

そのようなやり方で、勝ったり負けたりを繰り返していた僕の恋愛合戦だったが、刀を交える中で知らない間に思わぬ特技も身についた。
「わかり易い猛烈アプローチ」で異性を褒め続ける人生だったので、「相手の長所を見つける」ということが自然とプロフェッショナル化していったのだ。
これが今では人間関係全般で大変役に立っていたりする。
誰だって褒められたら嬉しいし、僕もその人の良いところはその時その瞬間に手放しで称賛したい。
久能先輩の恋愛指南は、今では僕の人間関係すらも円滑にしてくれている。自分の思いもよらない形で、過去の経験が生かされてくるから人生は面白い。

欲を言えば、狂ったようなアプローチ人生だったので、逆に異性に追いかけられるという経験がほぼ無い。
追いかけられている人を見ると、ちょっと羨ましくなる。追いかけられる人間になるにはどうしたら良いのだろうと思ったりするのだが、大方の予想通り自分の性格では無理だと思う。


『She’s Thunderstorms』、彼女は逆巻く嵐なんだとイギリスのあるロックバンドが歌っていたが、僕も久能先輩式恋愛法に則ってそれは大方間違っていないと考えている。
恋はいつでもハリケーン、恋愛はコメディでも良いじゃないか。というか恋愛がもう色々よく分からないからせめて僕の場合コメディであってくれと願う。
人生も恋愛も、誰も正解なんてわからないのだから。

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