古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

20代の頃、ランニングや筋トレにハマっていた時期があった。毎朝早起きして腹筋をしたり、コツコツと身体を動かすことを習慣にしていた。
仕事もオフィスワークだったので、一日パソコンの前でじっと座り続けた鬱憤を、運動という行為が爽やかに発散してくれたのだ。
健康に良いという思いもあって、筋トレの記録をつけたり定期的にマラソン大会に出たりと、どんどんのめり込んでいった。

しかし、汗と老廃物を流して新鮮な気持ちになりながらも、僕は何か物足りなさを感じていた。

リフレッシュすることで、当然身体と心は良い方向に向かっているはずなのに、このムズムズするような虚しさは一体何なんだろうと不思議で仕方なかった。
そしてある時、僕はふと思いついた。
もしかしたら、老廃物や毒素が足りなくなってきているんじゃないか、と。

健康的なワークアウトによって体内が「善玉」だらけになった僕の身体は、無意識のうちに「悪玉」を欲している。
つまり、以前は不要だった毒素が、今度は逆に欠乏状態になってしまったんじゃないかと感じるようになった。

太陽の塔などで知られる芸術家の岡本太郎も、「自分の中に毒を持て」と著書の中で言っていた。そうか、人間の身体にはある程度の毒素も必要なんだなあと、ランニングでピカピカになった肉体を眺めながら思った。

ちょうどその時、僕は地域の地元消防団に入団したばかりだった。
周りの消防団員のおじさん達は、集まりの度にアホみたいに大量の酒を飲んでいた。消防団の詰所というのは、だいたいどこも酒蔵みたいになっているので、酒はいくらでも手に入った。

ランニングや筋トレをした後に詰所で飲む酒は最高だった。ワークアウトで作られた善玉が、バラバラと壊されてアセトアルデヒド(毒)に生まれ変わっていくあの感じがたまらなかった。
しかも詰所に格納されている酒は全てタダ酒である。
たくさんお酒を飲むと、先輩団員のおじさんたちも誉めて可愛がってくれるし、まさに良いこと尽くしだった。

消防団詰所にある酒で、僕は体内の善と悪のバランスを保っていた。もちろん健康であることは大事だけど、不用意に「悪」や「毒」を退けてもいけないことを学んだ。

これを読んでいる人で、共感していただける人はどれくらいいるだろうか。
身体に良いことばかりしていると、ふとした瞬間にそれを崩したくなったり、悪い要素を取り入れたくなったりする。身体が勝手に善と悪のバランスを保とうとするのである。
この問題は、ある程度人間の本能めいたところから湧き上がってくる気がしてならない。
この世界は、残酷だけど善も悪も必要だというのが僕の経験上の持論である。

食事に関しても同じことが言える。
世の中がどんどん健康志向になっていって、無化調、無添加のオーガニック料理が広まっていく。それは世間的には「良いこと」として認識されているが、僕はそのオーガニック志向の広がりを見る度に、なぜか無性にマクドナルドを食べて抵抗したくなる。
オーガニック料理で清められた僕の身体の中の悪玉菌が、ひどい油を使っているマックフライポテトを欲してバランスを取ろうとするのだ。病気だろうか。

日常を生きていても、そう言ったことにたくさん直面する。
「環境に配慮した」とか「地域の発展のために」とか「子どもたちの未来に」とか、正しそうな人が正しそうなことを言って、それが流行ってなんかいたりした時、僕は人知れずロックバンドを組みたくなる。
何かを壊したくなるのだ。
ライブ中にミュージシャンが素っ裸になってしまう気持ちが何となくわかる。

時々、世界は信じられないほど絶妙な具合で、バランスが保たれているんじゃないかと思うことがある。
もしそうだとするならば、特に世の中を変えることもないし、改革も革命も必要なくなる。
日本を変えてくれそうな、面白そうな立候補者が時々選挙に出馬しても敗れてしまうのは、国民の政治的無関心が原因なのではなく、元々保たれている世の中の均衡が、彼らの思想を寄せつけないだけなのかもしれない。

Mr.チルドレンの昔の曲に『マシンガンをぶっ放せ』という曲があって、彼らはサビの部分でこう歌っている。

「正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です」
「殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかないんですね」

善と悪とは一体何なのだろう。

 

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