古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

小学二年生の時、いきなりご飯が食べられなくなった。我が家の家計が苦しくて生活が困窮した、という意味ではなく、文字通り、飯が喉を通らなくなったのだ。

原因は全くわからなかった。人前で飯を食べようとすると何故か緊張してしまい、気持ち悪くなって吐きそうになる。無理やり食べようとすると、えずいてしまう。
親は僕の異変に気づいたけど、子どものお腹の風邪だろうと判断されて何日か学校を休まされ、その後すぐ学校に戻された。

飯が食べられなくなってまず、自分の人生で一番の幸せだった給食が、拷問に変わった。周りのみんなは楽しそうに食べているのに、自分は何故か気持ち悪くて、もう食事どころではないのだ。
僕の学校の給食時間は「時間内に、残さず食べる」という不文律があり、それが守れない生徒は昼休みを返上して完食しなければならなかった。

その不文律のせいで、ますます飯が喉を通らなくなった。大学受験や、大切な入社試験当日の朝を思い出してほしい。緊張して食べ物が喉を通らない、あの感じが、毎日の給食の時間にやって来るのだ。

給食が喉を通らない、だけど時間内に残さず食べなければならない。親に言ってもただの風邪扱いされる。その問題を前に、僕はどうすれば良いかすごく悩んだ。
そして出た結論は、食べるフリをして給食をズボンの前ポケットに滑り込ませ、後で捨てる、だった。

僕は毎日毎日給食を捨てた。食パンやコッペパンは捨てるのが楽だった。周りの友達や先生に気づかれないようにヒヤヒヤしながらポケットにしまい、昼休みに運動場の隣のプールの裏などに捨てた。
主食が米の時は大変だった。ハシですくい、みんなに気づかれないようにそれを手で掴み、ポケットに入れる。ここまでは良い。問題は、米で手やポケットの中がベトベトになってしまうことだった。
串揚げなどのソースがかかっているおかずも、ポケットを汚す原因となり、捨てるのが嫌だった。でも食べるのはもっと嫌だったので、仕方なくポケットにしまった。小学生だった僕のズボンのポケットは食べ物のカスで汚くなった。

一度、給食の主食やおかずが校内に捨てられていると学校で問題になり、僕は目の前が真っ暗になった。犯人は僕しかいないので、いつバレるのかとずっと怖かった。先生たちに怯える日々が続いた。

その後も毎日毎日、給食の度に緊張して気持ち悪くなり、ヒヤヒヤしながら食べ物をポケットに隠し、ヒヤヒヤしながら食べ物を捨てた。小学校の時から、僕はヒヤヒヤしっぱなしだった。

謎の吐き気は、中学になっても高校に入っても続いた。
友達と一緒に飯が食えない。高校では母が毎日早起きして弁当を作って持たせてくれた。食べ盛りだと気を利かせ、毎日大盛りの弁当だったけど、余計なお世話だった。高校の友達は部活に入っている人も多く、信じられないくらいたくさん食べる人ばかりだった。

僕はずっとうらやましく彼らを眺めていた。僕もあの友達のように、楽しく食事を摂りたい。空かせた腹を、食べ盛りの高校生らしくモリモリ食べて満たしたい。ご飯を食べた後のあの充足感を感じたい。

そう思っても結局うまく食べることができず、学校の帰り、どこかのコンビニのゴミ箱に、ほぼ残った母の弁当を捨てていた。何も知らない母は、今日も空の弁当箱に満足げだった。悲しくてやりきれなかった。

高校生になってからも、食べられないご飯を捨てている。やっていることが小学二年生の時から変わっていない。情けない気持ちをいつも抱えていた。もしドラゴンボールの神龍がいるなら、僕の身体を元通りにしてくれとお願いするつもりだった。神龍がいてくれたらなあと本気で思っていた。

人と同じことがしたかった。友達と一緒に、楽しくご飯を食べる。簡単なことだ。でも僕はそれすらできなかった。
人が普通にできることができない。足並みをそろえた普通の生活ができない。周りの友達たちはキラキラと輝いて見えた。
何で僕だけ、こんな悲惨な目に遭わなければいけないのか。毎日毎日、劣等感で弾け飛びそうだった。自分を呪った。

食事は大切なコミュニケーションの場だ。だけどその場を楽しめないということは、人間として欠陥があるということになる。大人になればなるほど、人と楽しく食卓を囲むことが大切になっていく気がした。社会に出れば、きっと色んな人と色んな会食の機会が増えるだろう。

そして僕はそれができない。大人になっても、気持ち悪くなって食べられないご飯をヒヤヒヤしながらポケットに隠し、どこかに捨てるのだろうかと思うと、人生が心底嫌になった。

人とご飯を美味しく食べられないせいで、いつも元気がなかった。いつも疲れていた。たぶん僕は大学生くらいで倒れて入院して、30歳くらいで死ぬんだろうとずっと思っていた。学生時代は、お先真っ暗だった。

目立たないように生きたい。世の中の誰とも関わらず、空気のような生活を送りたい。謎の吐き気は僕の性格も進路も、静かで大人しいものにした。
将来の仕事は公務員なんか良いんじゃないかと思った。毎日毎日同じ業務をやり、影に隠れて一人で飯を食い、大人しく生きていけそうな気がしたからだ。試験を受けたら、運よく合格できた。

社会人になってしばらくしてから、食事の時の吐き気がウソのように無くなった。僕を散々苦しめていたものが消えたのだ。自分でも驚いてしまった。どうしてこのタイミングで身体が治ったのか?

今思うと、働いて稼がないと飯が食えず、飯を食わないと結果的に生きていけないということを痛感したからじゃないかと思う。生きるためには食わないといけないことを、仕事を通じて知ることができたからなのかもしれない。
それと、社会に出て、僕よりもさらに不幸な人間が実は山ほどいることに気づけたのも一因かもしれない。その人たちは、僕よりもさらに惨めな人生を歩んでいた。自分なんか、人前で飯を食えない変なやつってだけで、可愛い方だった。

とにかく僕は快復した。治ったのだ。再び人と楽しくご飯が食べられるようになった。20年間悩み続けていたものが無くなり、生きていくのがどんどん楽しくなっていった。楽しすぎて公務員も辞めてしまった。何も知らない親は、僕の突然の退職に激怒した。

それでも僕は幸せだった。今なら母の作ってくれた弁当も、友達と楽しく食べられる。これからは自分を好きでいられる。何でもできる気がしたのだ。

ある日、ふと、自分のあの謎の吐き気は結局なんだったのだろうと純粋に疑問に思った。それからインターネットを使って「ご飯 人前 食べられない」と検索してみた。検索結果は、次のように表示されていた。

「会食恐怖症(FD)」。人前だと緊張して食べ物が喉を通らなくなる摂食障害。ボタンをクリックしていくと、僕が長年経験した症状と全く同じ苦しみを味わっている人がたくさんいた。会食恐怖症を謳うアイドルまでいるくらいだった。

これだったのか……僕はこの時初めて、長年一人で抱えていた、誰にも言うことができなかった身体の悩みを完全に解決することができた。20年もかかってしまった。

会食恐怖症なんかにならなかったら、きっと全く違う人生を歩んでいたに違いない。この摂食障害のおかげで、学生時代に諦めた夢や目標は正直たくさんある。
でも会食恐怖症があったからできた大切な人やモノもたくさんある。僕ばっかりが不幸じゃないし、自分より不幸な人間はたくさんいる。いつまでも悲劇のヒーロー気取りするのも、なんか違う気がする。今を大切に、自分のやれることをやっていくしかないのだから。

 

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