古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

床屋には苦い思い出がある。

僕が子供の頃通っていた床屋は家の近所にあって、髪が伸びると良く父に連れて行ってもらった。そこはご夫婦で経営している小さなお店だった。
店の前でクルクルと回る三色のカラーポール。ドアを開けると漂ってくる髭剃りクリームと整髪剤の香り。店の天井の隅に置かれた四角くて小さなテレビ。待合席に積まれた児童書やマンガ、大人向けの雑誌。
こじんまりとした店の中央に置かれた三台の散髪台の間を、理容師のご主人とその奥さんが忙しなく動き回っている。日本のどこにでもある、ごくありふれた理髪店だ。
一点、他の店との違いを挙げるとすれば、そのご夫婦は耳が不自由だったことである。

障がいを持つ人と接するのはその床屋が初めてだった。子供心に、僕はこのご夫婦のことを気の毒に思いつつも、正直言うと二人が苦手だった。とても健康そうなのに、普段父や母とするような何気無い会話ができない。
ご夫婦を前にすると、どうやって振る舞えば良いのかわからなくなり、そんな自分も、二人も嫌だった。

自分たちとは違う空気を放つ人がそばに寄り添い、その人に黙々と髪を切られる。
−心が通い合わない−当時小学生だった僕は、その正体をうまく言葉にできず、ご夫婦と僕の間に流れるモヤモヤとした雰囲気がいつも辛かった。

幸か不幸か、僕が自分の弱点に気づいたのも、その床屋さんだった。
僕は自分の背後、特に右後ろに立たれると、右側の腎臓のあたりが抉られるようにくすぐったくなり、背中の筋肉がビクビクと痙攣してしまう。自分ではコントロールできないほど身を震わせてしまうのだ。
持病というか、とにかく変な癖だ。原因はいまだにわからないし、大人になった今もそれは克服できていない。

人に髪を切ってもらうということは、自分の背をその人に預けることを意味する。
自分の意外な弱点が背中であることを悟った僕にとって、床屋で散髪をする時間は、自分の身体的な弱みと向き合わなければいけない苦悶の時間だった。

普通の床屋さんだったら、「背中が弱いんです」と言えば済む。しかし困ったことに、僕の通っていた床屋のご夫婦は耳が聞こえない。まだ子供だったということもあり、自分の弱点を伝える恥ずかしさと、言葉が伝わらないという二つの理由から、僕はいつもそのことを言い出せずに黙っていた。

そんなこと知る由もない床屋のご夫婦は、僕を散髪台に座らせると、自動ボタンを押して僕を上昇させていく。椅子がゆっくりと持ち上がる、あの瞬間が嫌だった。僕の背中の弱点のことなど一切気づかない彼らは、バッサバッサと勢いよく頭を刈っていった。

彼らの気配を背中で感じる度、突き上げるようなくすぐったさがこみ上げる。堪えきれず、僕はぶるぶると何度も体を震わせてしまった。
そんな震える僕を見て「落ち着きのない子だな」と彼らは解釈したらしい。実際、刃物を持って髪を切る側からしたら、手元が狂うと相手にケガを負わせることになりかねない。
散髪中、僕は何度も首を強く掴まれて姿勢を正されたり、「チッ」と舌打ちをされたりした。言葉で意思を伝えられないハンデを背負った二人にとって、自分たちの仕事はいつでも真剣勝負だったのだ。

そんな中、僕は僕で、背中からくる耐え難い疼きと、伝えたくても恥ずかしくて自分の意思を表現できない勇気のなさ、僕のせいでどんどん機嫌が悪くなっていく二人にいたたまれず、いつもその場から消えてしまいたかった。
早く時間が過ぎるのをいつも祈っていた。

ある日の散髪中、一瞬だけ背中の緊張を解いてしまった時があった。それはタイミング悪くご主人が僕の頭にハサミを入れようとした瞬間でもあった。その気配に堪らず、僕は大きく身体を痙攣させてしまった。
ご主人はビックリして退いてから、カッと来たのだろう。発作的に僕の頭を平手で叩いたのだ。

気づくと僕は大泣きしていた。今まで我慢してきた全てのこと−言葉が通じない悔しさ、自分なりに一生懸命背中の疼きと闘っていたこと、二人の仕事の邪魔をしないように精一杯努めていたこと−それがこんな結末になってしまったことがただ悲しくて、涙が堰を切ったように溢れ出した。

しかし驚いたことに、その後床屋のご夫婦が二人で謝ってくれたのだ。
人は耳が聞こえないと、言葉もうまく操れない。二人はいつも話をするのが辛そうだったし、やむ終えずお客さんと話さなければならない時に聞こえる彼らの声は、掠れていて怖かった。

そんな二人が、何度もつかえ、息を詰まらせながら「ご、めん、ね」と謝ってくれたのだった。僕だけじゃなく、一緒に散髪に来た父にも頭を下げていた。
頭を叩かれて大泣きしていた僕は、彼らのその姿を見た後、なぜかすまない気持ちになった。
二人が僕に発した言葉は言葉の原型を留めていなかったけど、あの時の「ごめんね」ほど心に届いた言葉はなく、それは今でも僕の耳に心地よく残り続けている。

それから後、何回かその床屋に通い続けていたものの、思春期に入り、だんだんと自分の髪型を気にするようになってからは、僕は床屋ではなく「美容院」に通うようになった。成長するにしたがって、耳が不自由だった彼らも、あの店も、疎遠になってしまった。

床屋が段々と姿を消し、お洒落な美容院が増えていく現在。それでもふとした瞬間に、あの懐かしい三色のカラーポールに出会う時がある。そんな時、僕はいつも胸の中の記憶を思い出す。
床屋のご主人に頭を叩かれたこと、そして言葉の上手ではない二人に謝られた「ごめんね」という言葉を。

半分はほろ苦く、もう半分はあたたかい。僕の密やかな思い出だ。

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