古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

こんな世の中なので休日はだいたい家にいる。こんな世の中じゃなくても家にいることが多いが、夏が終わる頃にはコロナウイルスもきっと収まっているだろうと楽観視しつつ、今年の夏はもういろいろ諦めて大人しくしていようと思っていた。
しかし、いざ夏が過ぎても一向に収束の気配がない。話が違う。

夏だけではなく、もう今年はいろいろ諦めた方が良いのだろうか。いや、そうやって期待して来年になってもコロナが明けなかったらどうしよう。
こうなったらもう一生、いろいろ諦めた方が良いのだろうか。戦争はいつになったら終わるのだろうかと不安に駆られていた戦時下の人々も、こんな気持ちだったのだろうか。
自分が死んだら葬式の時くらいマスクは外してほしい。

そう暗くなっても仕方がないので暇なときは気分を変えて映画を観るようにしている。アマゾンプライムの会員になっているので、パソコンを開けば10秒で映画が観られる。良い時代である。

その日の気分によってくだらないアニメを観たり、まだ観ていなかった名作に出会えたり。
せっかくなら一個でも多く、面白い作品を知りたいと思いつつ、ハマりだすと抜け出せなくなる映画沼。
アマゾンプライムで、こんな映画も観れるんだ、と日々感動している、下半期真っ只中である。

●ブリジッド・ジョーンズの日記

2001年に公開されたイギリスのラブコメ映画。TSUTAYAの洋画コーナーでずっと気になっていたけど中々手が出なかった作品である。
登場人物に「ダーシー」という男性が出てきてまず「おやっ?」っと思う。話の内容も、主人公のブリジッドという女性とダーシーがお互い惹かれ合っているのだけど素直になれなかったりすれ違ったりする。

調べてみたらあのジェイン・オースティンの名作「高慢と偏見」を下敷きにしているとのことだった。「現代版・高慢と偏見」だ。もう20年も前だけど。
イギリス独特の言い回しや下ネタにキレがあって今でも十分楽しめる。
ベースとなっている作品が普遍的なものなので、こういった作品はこれからも設定を変えて作り続けられるんだろうなと思った。

●ドラえもん のび太のパラレル西遊記

1988年に公開されたドラえもん映画。ドラえもんの映画は子どもの時に映画館でやっていて、親によく連れて行ってもらった懐かしい思い出がある。

パラレル西遊記では、物語の中に入り、主人公になって遊べるドラえもんの道具が登場する。しかし、のび太たちが「西遊記」をプレイ中、西遊記に出てくる妖怪が道具の世界から飛び出して、世の中が一変してしまう。

ネタバレになってしまうけど、映画の終盤、ドラえもんたちがいつものように敵に追い詰められてもうお終いだ!という状況になっている時、お話と全然関係のないドラミちゃんが可愛いタイムマシンで助けに来てくれて大円団、という流れになる。

伏線もない、本編と何の脈絡もないドラミちゃんをいきなり出してくるなんて、いくら何でも作りが雑すぎる。敵の妖怪たちもあまりに可哀想だ。
そんな感じで、何でもアリ感満載の監督、芝山努先生に大変腹が立った。

●アリス

1988年に製作されたチェコスロバキアの映画。ルイスキャロルの「不思議の国のアリス」が原作で、監督は巨匠ヤン・シュヴァンクマイエル。

ストップモーションによるアニメーションで見応えがあった。
奇しくも、上記したように芝山努先生が「ドラえもん のび太のパラレル西遊記」という腑抜けた駄作映画を作っていた同年、チェコスロバキアではこんな名作が誕生していたのである。

内容は原作同様、身体が大きくなったり縮んだりする薬が出てきたり、ウサギを追いかけたり、動物がお茶会をしていたりするシーンが登場するが、ウサギの顔の作りが不気味だったり、お茶会をしている動物たちが狂っていたりと始終カオスである。

不思議の国のアリス自体、冷静に読むとイカれた箇所が出てくるので、その辺りを色濃くアニメーションで再現したのだと思う。作中に出てくる小道具たちがとても緻密に作られていて感動した。

●クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン~失われたひろし~

 

アマゾンプライムではないけど、テレビをつけたらたまたまクレヨンしんちゃんのこの映画がやっていたので観た。

若い頃に行けなかった新婚旅行をしようと、オーストラリアにやってきた野原一家。しかし、オーストラリアに住む先住民たちの結婚の風習により、父ひろしが新郎として選ばれ彼らに連れ去られてしまう。さらわれたひろしを助けにいくお話。

クレヨンしんちゃんの映画は、ドラえもん同様、子供の頃よく観ていた。大人になるにつれて、ガキの映画だとかバカにして観なくなってしまったけど、最近心を改めてまた観るようになった。

僕が観ていた頃は、オカマがたくさん出てきたり、ひろしがキレイなお姉さんに鼻の下を伸ばしてみさえにボコボコにされるシーンがあったけど、今はそういう場面はなくなってしまったみたいだ。
そういえば、しんちゃんがふざけて悪さをした後、同じくみさえのゲンコで頭をグリグリやられてたと思ったけど、それも無くなっていた。時代だろうか。

クレヨンしんちゃんの映画では、野原一家がよく海外に向かう。オーストラリア以外にも、ひろしが南米に転勤になったり、中国に行ったりする。

どうでもいいことだけど、旅先で野原一家が外国人たちと普通にコミュニケーションをとれている姿にいつもびっくりする。明らかに設定がおかしい。
ドラえもんの映画でさえ、そこらへんの辻褄を合わせるために「ほんやくコンニャク」という便利な道具があって、「パラレル西遊記」では、三蔵法師さまとコミュニケーションを取る前に必ず食べていた。

その辺りを雑に扱いすぎていて、クレヨンしんちゃんの映画はいつも感情移入できない。

もう一つ。最近のクレヨンしんちゃんの映画では「家族の絆」とか、「夫婦愛」のようなテーマが根底にあるのか、一度バラバラに引き離された野原一家が再集結し、一致団結して敵を倒したり、みさえがひろしを助けに行くという流れが多い。
昔のクレヨンしんちゃんの映画はもっとくだらない感じで純粋に面白かったのだけど。

野原一家を、日本の清く正しい家族のアイコンにしたいのだろうか。そういう思惑が垣間見えると、一気に萎えてしまう。やめてほしい。

●儀式

「戦場のメリークリスマス」や「愛のコリーダ」で有名な大島渚監督の作品。
戦後日本の様子、地方に残り続ける家長制度の悪しき部分を切り取っている。
特に家長制度の描き方がリアルで、家長が息子の妻や親戚に手を出しまくり、交ざりまくり、家の中が大変なことになってしまっている。

「家」を大切にしすぎると、こんな悲劇が待っているのかと思う反面、平安時代では近親相姦で後継ぎを残していたとも聞く。
手塚治虫の漫画で「奇子」という作品があるけど、それも家長とその息子の妻との間にできた、戸籍にどう記したら良いのかわからないような女の子の悲劇の話である。

そうした人間の「業」のようなものに真正面から挑んでいく巨匠たちはすごいと思うし、そうした作品は必ず面白い。狂った作品が好きな方にはオススメの一作。

ドラえもんとクレヨンしんちゃんは日本の大御所アニメだが、大御所ゆえの製作怠慢があるような気がしてならない。多少ツクリを甘くしても視聴者はついてきてくれるといった過信は本当によくない。

しかし、選り好みをせずに色んな作品に目を通すことは単純に楽しい。異世界転生モノのアニメを観た後に黒澤明の名画を楽しむ、といった具合に硬軟織り交ぜて果てしなく見続けていくと、頭の中が撹拌した後のミキサーのようになる。あのぐちゃぐちゃする感じが好きなのかもしれない。

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