日常の非日常 ge-cの頭ん中
ラーメンろたすにて、男性のご老人とそのお孫さんらしき男の子が二人で来店する。
子供の頃、じいちゃんによくらーめん屋に連れて行ってもらった事を思いだす。
毎回それが楽しみだった。
僕はおじいちゃん子だった。
高校生になっても、それは続いた。
ある日の朝、じいちゃんにいつものように「しげ君、夜ラーメン食べ行こう」と誘われ、学校から帰ってきてから行こうと約束した。
学校に行く。
ちょうど掃除の時間に母親から携帯に電話が掛かってくる。
「おじいちゃんが脚立から落ちて首を打って。重体だから速く順天堂まで来て」と。
先生に事情を告げ早退し、病院まで走って向かう。
伊豆中央高校前の堤防を泣きそうになりながら、走る。
最悪の事態を想像してしまいながら。
病院に着く。
幸いにも最悪の事態は免れたが、じいちゃんは首の骨を折っていて首からした全身麻痺になっていた。
この先もう自分で呼吸できる状態ではないらしく、喉に穴が空けられ呼吸器が付けられていた。
そのせいで話すことも出来なくなっていた。
昨日まで元気に野良仕事をしていたじいちゃんがいきなり手も足も動かなくなり、喋ることもできなくなり、寝たきりの生活になってしまった。
最悪の事態よりも、最悪だった。
家に帰ってから、一人部屋で泣く。
あんなに泣いた事はない。
その後、じいちゃんの部屋へ行ってみる。
ごみ箱の中には、煙草(マイルドセブン)が捨ててあった。
ぐしゃっと握り潰されていた。
今はもう動かすことのできないじいちゃんの手が最後に握り締めたもの。
普段はただのゴミが、何よりも大切なものに見える。
僕も、それを握り締める。
それから二年後、僕が成人式を迎えた年、じいちゃんは死んだ。
死ぬ間際、じいちゃんの目からは涙が出ていた。
最期、僕の声が聞こえたのかなぁ。
そして、あれからもう15年が経ってしまった。
あの事故が無ければ、まだ生きてるのかなぁ。じいちゃん。ばぁちゃんはまだ元気だし。
心残りがひとつある。
今は僕も大人になって、車も運転できて遠くのらーめん屋にだって行ける。
じいちゃんを助手席に乗せて、ラーメンでもおごってやりたかったなぁ。
なんて思う。