古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!
子どもの頃はどこへ行くにも大冒険だった。
学校が終わると、当時流行っていたミニ四駆やカードゲームを携えて隣町のホビーショップへ向かったりした。
友達と汗をかきながらドブ川に沿って自転車を走らせる。その道程の長いことと言ったらなかった。ドブ川は永遠に続くように思えた。
ようやくお店にたどり着くと、自分と同じくらいの歳の、見たこともない小学生や背の高い中学生がゲームに興じていた。
その店に売っている駄菓子を買って、店に備えられた大きなコースで彼らに混ざってミニ四駆を走らせた。
やがて遊びに飽きると店の外に出た。駄菓子を食べながら、やってきた道と反対の方角に目を凝らすと、全く知らない世界が広がっていた。
実はこの隣町のホビーショップは、学校で僕たちが許されていた外出エリアからだいぶ外れていたのだ。
道の向こうに行ったら確実に迷子になるだろう。
両親も同級生もいない、この見知らぬ町に飲み込まれていくのを想像し、僕は小さく絶望した。同時に、何か悪いことをしている甘い刺激を味わいながら。
大きくなって知らない国を旅するようになって、僕は小さな頃に感じたあのクラクラとした絶望と甘やかな刺激を思い出す。それが、まるで子どもの時の自分に戻った気がして楽しいのだ。
見知らぬ国で僕は、地元のドブ川の道を自転車で疾走し、町に丸飲みにされそうになったあの頃の、何も知らなかった自分を、懲りもせずに探しているのかもしれない。
大人になった僕はドブ川ではなく、パリのセーヌ川を歩いていた。年末の休暇でとはいえ、大した進歩だろう。
先ほど髪を切ったモンマルトル界隈からまっすぐに南下していくと、パリの街区を大きく南北に分かつ世界遺産、セーヌ河岸へとぶつかるのだ。
河岸にはさまざまな形をした汽船が浮かび、観光客の目を楽しませている。その側で絵描きたちが、自分の描いた絵を売っていた。
ポン=ヌフという有名な橋を渡り、パリ左岸(南側)に降り立った。
先ほどまで散策していた華やかな右岸(パリ北側)とは一変して、左岸は雰囲気の良いカフェやひっそりとした裏通りが多く、どことなく蠱惑的な雰囲気が漂っていた。
不思議と人気も少なく、繁華街を抜け路地裏の隠れた老舗通りに迷い込んだ感じがした。
何か面白いお店に出会えるかもしれないなと思って散策していた矢先、ショーウインドウ越しに見たこともない木像が飛び込んできた。
フランス人の経営する骨董屋である。
吸い込まれるように店に入ると、古今東西あらゆる国から収集してきたと思われる木像、仮面、装飾品、銅鐸、呪物のようなものが狭い店内にこれまた所狭しと並べられていた。
さながら民族博物館だ。
そのフランス人の店主は気さくな人物で英語が話せた。
拙い英語を駆使しながら、僕が最初に目が合った角の生えた大きな木像の値段を聞くと、「5,000ユーロ(約50万)で良いよ」と朗らかな声で答えた。
スーツケースにはもちろん入らないし、5,000ユーロなんて大金持ち合わせていないと苦笑いすると、「じゃあこれはどうだ?」と店の入り口へと足を向けた。
彼が僕に見せたのは、珍しい形をした瓢箪だった。出どころが分からず、知らないうちに店にあったらしい。
「ボーイ、200ユーロ(2万)で良いよ」と勧められた。
2万か…パリ左岸の街並みの、どこか夢現つな雰囲気。そこで偶然見つけた、今にも店の商品で呪われてしまいそうな骨董屋。出処不明の瓢箪。
様々な縁に魅惑されすっかり陶酔してしまった僕は、その瓢箪を購入した。店主はほくほくした顔で僕とその瓢箪を送り出してくれた。
しかし帰国後。その瓢箪はいつの間にか家から無くなっていた。あれだけの思い出を秘めたフランス土産なので、大切に飾っていたはずなのに、まるで足が生えたように我が家からひっそりと姿を消してしまったのだ。
もしかしたら今、またあのパリの骨董屋に戻っているのかも…なんてね。
※この不思議な骨董屋に着想を得て、帰国後に書いた短編小説『胡蝶の夢』を載せておきます。