古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!
昔から「海」については特別な思い入れがある。誰でもそうだろうか。
海と言っても、キラキラと輝く砂浜のビーチではなく、岩肌が剥き出しになった荒々しい磯場のことだ。
小さい頃、僕の父は夏が来ると、僕と四つ上の兄、兄の友達たちを河津町(南伊豆)にある磯の海に連れていってくれた。その海でサザエやアワビ、シッタカなどの海の幸を素潜りで穫るのだ。
朝5時に起き、車で修善寺道路を抜けて天城峠を越えると、やがて東伊豆の海岸線にぶつかる。その海岸線を下田に向かって走っていくと、人が下っていけそうな崖の切れ目に到着する。僕たちの素潜りポイントの入り口である。
そこから父、僕、兄、兄の友達で隊列を作り、フィンや海中メガネが詰まったリュックを担ぎ、飲み物や氷の入ったクーラーBOXを肩にかけ、汗をかきかき切り立った崖を下り始める。大波が打ち寄せる岩場をすり抜け、足を滑らせれば海へ滑落してしまうヤブ蚊だらけの山道を突破する。
途中、波が打ちつけてできた洞穴が何カ所もあり、どれも大きな口を開けた地獄の門のようで、その中には見たことものないような直径の岩が敷き詰められていた。そこに新たな大波がやってきて、洞穴をさらに深く抉った。
一歩間違えば荒海に真っ逆さま、という難所がいくつもあった。思えば父も、良くこんな危険な場所に10歳そこそこの少年たちを連れていったなあと感心してしまう。
30分ほどかけて到着した目的の穴場スポットは、外海に突き出たような地形をしているものの、比較的波が穏やかな場所だった。そこには小さなプールサイズの潮だまりもあり、外海から滑りこんだ海水が波紋を作り、そこに住む小魚や小エビを優しく揺らしている。
山を仰げば先ほど車を停車した海岸線が見え、そちらからジワジワと蝉の鳴き声がした。
危なくも美しい海だった。そこで僕は夏の到来を感じ、自然の畏れのようなものを学んだ。
兄の友達たちは暑くて早く海に入りたくてソワソワしている。コンビニで買ってきたおにぎりを食べて塩分を摂った後、潮だまりに入って身体を慣らし、海中メガネとフィンを装着して深い海へ向かう。
フジツボで足を切らないように気をつけながら、波が寄せるリズムに合わせて、一人また一人と勇敢に飛び込んでいく。
その穴場スポットの水深は10メートルほど。深い海は海水の温度も冷たく、足が着かない恐怖で心拍数もやや上がっている。僕は潜水ができなかったので父や兄、兄の友達の漁を見守りつつ、視界に広がる海底の風景をいつも観察していた。
グロテスクな色をした岩肌や、大量の海水の中で揺れる大型の海藻が海中メガネ越しに見える。その中をたくさんのブダイやメジナが優雅に泳いでいる。
当時は恐ろしかったけど、今考えるとどの海よりも美しく、偉大な海だった。
その海に10分も浸かっていると、身体の小さな僕は芯から冷えてくる。兄がそれを察すると僕を岸まで連れていってくれた。
磯の海は入るよりも出るほうが難しい。海中で岸よりも低い位置に身体があるので、波が寄せる時にうまくタイミングを合わせないと永遠に上陸できない。
何回か岸の手前で引き波に巻かれながらも、兄に身体を支えられ何とか岸から這い上がる。
そのうちに、父と兄の友達たちが大量のサザエやアワビを網に入れて引き上げてくる。今ではそういった漁は禁止されているが、昔は漁師たちの目も緩く、発見されても見逃してくれたものだった。
潮だまりの上のゴツゴツした岩に向かって、穫れ立てのサザエやアワビを投げつけて殻を割る。分厚い肉の部分を取り出して内臓を捨て、持ってきたナイフで刺身にしてみんなで食った。コリコリした歯ごたえと、ピリッとした海水の塩味で何個でもいけてしまう。
生きてきて、これ以上に美味い刺身に出会ったことはまだない。新鮮な刺身を食い、冷えきった身体を太陽で灼きながら、海の中の話や今年の夏休みの話をし、波の音と蝉の鳴き声に耳を澄ませる。
磯の海で共有した、こういった楽しい思い出があるので、父や兄、兄の友達とはいまでも仲が良い。
蝉が鳴き出すと、河津のあの荒い磯の思い出がよみがえってくる。もう何年もあの海には行っていないが、昔のままであって欲しい。時が経ち、僕もだんだん当時の父の年齢に近づいてきているが、子どもができたら同じことをしてあげるのがちょっとした野望である。