古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

音楽が好きで昔からあれこれ聴いている。
中でも洋楽が好きだ。きっかけは中学生の頃だった。当時、英語を教えてくれた担任の先生が授業の一環として、授業中に色んな洋楽を流してくれた。そこで知った「oasis」や「Sheryl Crow」、「U2」などは、それまで日本の有名なポップスしか知らなかった僕にとって当然聴いたこともない音楽だった。「カッコいい!世界にはこんなカッコいい音楽があるのだ!」というのが素直な感想だった。oasisやU2は僕の洋楽事始めとして、特に思い入れのあるバンドたちだ。彼らは中学校生活の狭く閉じられた世界をこじ開け、ぐっと視界を広げてくれたのだから。
単純な僕はそれから英語の授業が一気に好きになった。そして先生が教えてくれる月に一度の洋楽では物足りなくなってしまい、ついに自転車を飛ばして地元のCDショップに向かうようになった。

そのCDショップは地方に佇む小さなお店だったので、今思えば品揃えもあまり良くなかった。
それでも生まれて初めて潜入した洋楽ジャンルのコーナーは、中学生だった僕にとって広大なものだった。見たこともない景色や、宝石のような色の瞳をした外国人たちがジャケットを通じて前後左右から伺っているようで、アタマがクラクラとした。それに加え、当時はインターネットもyoutubeもなく、音楽雑誌の存在すら知らなかった田舎者である。唯一の身近なメディア、テレビでも洋楽の情報を得るのは難しかった。そのような状況だったので、洋楽といっても一体何を買っていいのかわからなかったのだ。
突如として現れた洋楽コーナーの情報の多さにめまいがしつつも、這々の体で選んだCDはoasisの「Be Here Now」とweezerの「Green Album」だった。どちらも「店長のオススメ」として視聴ができるコーナーに置いてあった作品だ。
「Be Here Now」は、英語の先生が授業中に流してくれた「Stand By Me」という曲が収録されているアルバムということで親近感があった。ボーカルのリアムギャラガーが、プール付きの豪邸をバックに偉そうにこちらを向いているジャケットもカッコよかった。
weezerに関しては全く知らないバンドだった。「Green Album」、文字通り黄緑色のジャケットが目を引く。中央にはマジメそうな眼鏡をかけた外人がギターを持ち、そいつを取り囲むように佇むひょろっとしたバンドメンバーたち。oasisとは正反対の印象で、果たして買うべきか迷った。中学生でCDのアルバム2枚は大した買い物だったからだ。しかし洋楽コーナーで大勢のミュージシャンに睨まれ、訳が分からずも発見したweezerの「ひ弱そうな部分」が当時の自分と重なり、つい惹かれるままに購入してしまった。
それから約20年経った。oasisは解散し、weezerはめちゃくちゃに売れ、どちらも僕の大好きなバンドである。

その20年の中で、日本ではインディーズバンドが流行って、僕は四歳上の兄とブラフマンなどのCDを買ったりとにかくカッコいいバンドを探した。高校生になるとエミネムや50セント、Dr.DREがカッコいいといってCDショップに駆けていった。大学生の頃にはロックンロールリバイバルが全盛になり、ブロックパーティやカサビアンといったクールなロックバンドがフジロックに登場し、会場を沸かせた。同じ年にストリートダンスを習い始め、エミネムや50セント辺りで止まっていた僕の中のHIPHOP時計が再び時を刻み始めた。古典と呼ばれるHIPHOPもとんでもなくカッコよかったのだ。そして社会人になってからは、音楽を通じてできた仲間たちと伊豆諸島の離島などに出かけ、野営をし、焚き火をしながらお互いの好きな曲をかけて語り合ったり、踊り狂ったりしたのだった。

生きていく中で伴走してくれた音楽は一生の財産だと思うし、そういった音楽を共感できる人々もまた、一生モノの仲間だと僕は思っている。

中学校で出会った英語の先生の影響で、聴く音楽も洋楽寄りになり、気づけば読む本や鑑賞する映画なんかもマニアックな選択をしていくようになった。いわゆる日本の文化のメインストリームからは早々と外れてしまったものの、それも悪くなかったなと今振り返れば思う。海外への憧れといったらそれまでだが、中学生の頃から長らく触れてきたあれこれが、狭い日本から広い世界へと僕を解き放ってくれたのだから。

正直な話、音楽を聴いたところで何の役にも立たないし、それによって空腹が満たされることもない。音楽なんて聴かなくたって生きていけるのだ。
それでも音楽にハマる理由は一体何なのかといえば、音楽が「自分の中にまだこんな感情があったのか」ということを、驚きとともに教えてくれるからだと僕は思っている。その感情は言葉にならないのだけれど、その言葉にならない感情は時に僕を遠い異国の旅へと駆り立てたり、ある時は異性への激しい恋情を掻き立てたり、またある時は「生きろ」と言って僕の魂を狂おしいほど強く揺さぶってきたりする。

音楽に触れることで、自分の中に隠れていた言葉にならない感情を知りたい。そんなことを思いながら、音楽行脚は今日もゆるく続いていくのだった。

 

 

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