古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!
もう10年も前の話になるが、前職に就いていた時に職場内のサッカー部に入部したことがあった。
スポーツとしてのサッカーは幼稚園の頃に二年間だけやっていた経験がある。
もはや経験とも言えない、遥か彼方の「記憶」と言った方が正しい。
子供の頃のJリーグ開幕はお祭りみたいな感じで楽しかったが、幼稚園卒園以降、サッカーとは無縁の人間だった。
ヒデや内田篤人はカッコいいなと思っていたけど、実際にサッカーをプレイすること自体に興味はなかった。
そんなスポーツど素人が社会人になってなぜ職場のサッカー部に入ったかと言うと、平たく言えば腰を落ち着けたくなかったからだ。
その職場は比較的安定していた会社で、勤めていれば普通に生活できていけるような環境ではあった。
でも、僕はそこになぜか危機感を覚えてしまったのだ。この会社にいれば確かに生きていくことはできるけど、それだけだよな、と思ってしまった。
人は一度安定を築くと、新しくて面白いものに興味を示したり、困難に工夫して挑んだり、何かを発見することに億劫になってしまう。会社に入っていれば、知見を広げる必要もないし、逆に広げないことが特定の仕事に集中する上でメリットになることもあった。
上を見上げると先輩や上司たちが無数にいて、彼らの大半はそんな考え方の持ち主だった。
視野を広げず、周りのことに興味を示さず、慣れとマンネリの渦の中で自分ができる仕事以外の案件は煙たがる。
気づけば思考が均一化されていく。
先輩や上司のそういった姿が、まるで自分の将来を映しているかのようだった。
それが嫌でたまらず、そこから逃れるためには、何か自分を打ち負かしてくれるような経験が必要だった。
自分がいつまでたっても無能な人間だと気付かせてくれる装置のようなものがあれば、何かに慣れることもなく、変に調子づくこともなく、ずっとフレッシュな気持ちで日々を生きられるよな、と思いついた。
実際、職場のサッカー部には小学生の頃からずっとサッカーをやり続けてきた経験者がほとんどで、素人は僕を含めて二人くらいだった。
週に一回の練習日では、サッカー経験者たちに当然のごとくボコボコに引き摺り回され、試合に行ってもずっとベンチに座り続けていた。
勝負の世界では当たり前の話で、小中高大とずっとボールを蹴ってきた連中に敵うはずもなかった。
ほとんど勢いで入部してしまった僕は、そんな厳しい世界が広がっていることが想像できないほど素人だった。
その奇行とも言える僕の行動を気味悪がる部員も多かったけど、面白い目で見守ってくれる人もいた。そういった人たちの目はすごく温かくて有り難かった。
毎回のサッカー部の刺激的な練習や試合は、期待通りに僕を打ちのめしてくれて、安定した職場環境に浸かり切っていた僕の自尊心を完膚無きまで粉砕してくれた。
ひょろひょろした脚でサッカーボールを蹴る度に、自分は何て無能な人間なんだと思い知ることができた。
今となっては全てが良い思い出だ。
社会人になると悔しい思いをするという経験自体が少なくなるので、それを徹底的に味わえた「サッカー部入部」はとても貴重な時間だった。
ハングリーさを保つことができたし、自分が取るに足らない人間なんだということがわかり、性格も柔らかくなった。
若くて体力のあるうちに敢えて苦手なことをやってみるのも、実験みたいな感じで面白いかもしれない。