古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!

29歳の時、6年間勤務した仕事を辞めた。
精神的に追い詰められたわけでもなく、かといって身体の不調が原因でもない。

ある一人の男に惚れたからだった。
ホモじゃないよ。
彼の生き様は僕を自由にし、狭い環境やものの考え方から解き放ってくれたのだった。

大学を卒業してから一年浪人し、地方では安定職と呼ばれる会社に入社した。両親も僕の当時の状況や社会的な地位に喜び、満足してくれたようだった。
仕事をする中で先輩、上司に対する上下関係や社会的な常識を学ばせてもらった。良いところは誉め、悪いところは叱ってくれる素敵な職場だった。
それから仕事が忙しくなるにつれ、そして勤続年数が増していくにつれ、生活は会社が中心になり、僕は今まで大切にしてきたものを少しずつ削っていくようになった。

大学時代から始めたダンスは少しずつステップを踏まなくなり、好きだったロックンロールやヒップホップミュージックとは段々と疎遠になり、趣味だった読書は会社の契約書や書類へと変わっていった。
会社での飲み会や仕事上の付き合いが増え、僕は次第に彼らと同じような音楽を聴き、同じようなスポーツを楽しみ、同じものを食べ、同じものを信じるようになった。追い打ちをかけるように、職場の人にこう言われた事がある。
「この会社ではダンスなんて続けられないよ」

それまでの自分を形成してくれた様々な趣味や関心事から遠く離れていった僕は、周りと同じように仕事をし、お金を稼ぎ、自立し、仲間と飲みに行き、恋人を作り、デートに出かけ、失恋し、そしてまた仕事をした。お財布は年々膨らみ、将来の保障も世間から太鼓判を押されていた。

会社に入って何年かして、僕にとって趣味は生きていくのに全く意味のないものになった。当然だ。趣味を持ったってご飯が食べられるわけではない。何よりも、僕の周りにいた職場の仲間たちがそれを証明していた。
趣味というものは、意識しなくなった瞬間に自分の手からすり抜け、こぼれ落ちていく。今まで築き上げてきたものは過去の遺物となり、砂浜のお城のように呆気なく時間というさざ波に流されていく。そのあまりの呆気なさに思わず驚いてしまうほどだ。

目の前には仕事がある。社会人はそれだけやっていれば良かった。それだけやっていれば誰も文句は言わず、誰もが自分を受け入れてくれた。居心地がよく、何より楽だった。読書も、音楽も、ダンスも映画も必要なく、生きていける場所。それが組織。
だけど、何かが欠けていた。

その男は大学時代のダンス部の先輩で、バター犬先輩といった。なぜそのような卑猥なニックネームがついたのかはわからない。
バター犬先輩は大学を卒業してから就職した名古屋の会社を1週間で辞め、それから彼のダンスとバイトの日々がスタートした。
バター犬先輩はフリーターだった故、超ド級の貧乏だったが、名古屋で出会った新しい仲間たちときっちりダンスを続け、彼のダンスはどんどん上達していった。しかし、会うたびに上達しているのはダンスだけではなく、いつの間にかものの考え方や捉え方についても独特な視点を持つようになり、何に対しても自分なりの意見が言えるようになっていた。教養と呼べばいいのだろうか。バター犬先輩はダンスを続けていくことで、ダンス以外のものも学び始めていた。彼が貫いたダンスは彼自身をも成長させていたのだ。
僕は社会人になってからというもの、仕事と飲み会の日々で、これといって誰かに伝えるべき意見はなかった。踏み込んで言えば、意見を持つ必要もなかった。
バター犬先輩の話すストーリーはどれも面白かった。彼の話は生き方と直結していて、僕の生きる世界にはないリアルさや好奇心で満ち溢れていた。面白すぎてすごく悔しかった。彼は仕事で消耗することなく、本を読む時間に本を読むことができ、映画を観る時間にしっかり映画を見ていた。そしてよく踊っていた。

僕とバター犬先輩の決定的な違いを挙げるならば、自分のやりたいこと、好きなことを続けていったことだろう。
自分のやりたいこと、好きなことを続けていったバター犬先輩は社会的なステータスは無かったが、なぜか生き生きとして日々が幸せそうだった。
自分のやりたいこと、好きなことから離れて行った僕は、お金と社会的地位を得たが、人生は退屈なものになった。

社会人を悪く言うことはできない。僕は組織の中で大学生活では得られない多くのものを学び、成長させてもらった。多くの先輩、上司や後輩たちはそれぞれの生活の中で家庭を守ったり資産を形成したり、自分を磨いていた。その全てが素晴らしいことだと思う。

そのような環境に身を置く自分と全く正反対の境遇にいるバター犬先輩を見て、気づくと僕はバター犬先輩にもう一人の自分を見出していた。そして、初めて自分で自分のことをマジメに考えるようになった。

人生とは一体何なのだろう。どうして自分は生まれてきたのだろう。
幸せとは何か。社会とは?自分は一体何がしたいんだろう。

不思議なことに、その答えを深めるヒントとして、実は音楽があり、ダンスがあり、映画や本があるんだということに、ある時僕は気がついた。

目の前にはバター犬先輩がいた。月あかりの下で自由に踊っていた。そしてよくこう叫んでいた。

「倒れる時は前のめり!」