古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!
夏になるとオシロイバナを良く見かける。
みずみずしい緑の葉の上に、赤や黄色、絞り模様の色をつける、好きな花の一つだ。
一つの株にたくさんの花をつける姿が鮮やかで、見かけるといつもつい眺めてしまう。種の色は黒色で、割ると中から白い粉のようなものが出てくる。
それが面白くて、昔よく遊んでいた。
自分の誕生月に咲く花ということもあり、子どもの頃はこの花の香りとともに、誕生日や、夏休みや、夏祭りのような楽しいことが一気にやってくるワクワク感があった。
夏休みが近づき、道端にオシロイバナが咲いていたりすると、その匂いを意味もなく嗅いだり種を割ったりして、来たる夏に思いを馳せていた。
終業式が終わると、友達と一緒に夏休みの話で盛り上がりながら暑い昼時の通学路を帰った。
道具箱や防災頭巾でいっぱいになったランドセルはかなり重いはずのに、足取りは空に飛んでいきそうなほど軽かった。
そんな幸せな帰り道に見かけた、通学路に咲き乱れるオシロイバナは、まるで僕たちの夏休みを祝福してくれているかのようだった。
オシロイバナは僕にとって、幸せを運んでくれる花だった。
僕の祖父母の家は伊豆の稲取というところにあって、親がお盆休みになると恒例のように遊びに帰る、思い出の場所だ。
祖父母は農家をやっていて、家は急な坂道を登っていった小高い丘の上にあった。平家建ての風通しの良い家で、広い庭にはニューサマーオレンジや甘夏の木がたくさん生えていてスペインみたいだった。
その庭の一角に、毎年オシロイバナが咲く場所があった。オシロイバナはそれこそ色んな場所に咲くけど、そこに咲くオシロイバナは特別だった。一年に一度、稲取に帰ると必ず同じ場所で咲いて、僕を待ってくれているからだ。
大げさだど、お盆休みの時期にしか会うことのできない、感動の再会だった。
そのオシロイバナが咲く場所の隣で、祖父は夕方になるといつも細い竹を三本立て、その竹の中に小さな松明を掲げた。キュウリやナスに割り箸を刺し、生き物のように見立てた不思議な飾りも添えながら。
僕は祖父のその風習をいつも後ろで眺めながら、煌々と燃える松明の香りを嗅いでいた。
「戦争で亡くなったおじいちゃんの兄さんとか、お父さんがこの火を目印に帰ってくる。キュウリの馬に乗ってな。帰りはこのナスの馬に乗って帰るんだよ」
と祖父は教えてくれた。太陽がようやく西に傾き、ひぐらしが鳴き始める涼しい夕暮れ。
赤々とした松明の光はとても綺麗で、その近くで鈍く輝くナスの馬は、おしりがぽっちゃりしていてとても可愛かった。
祖父は去年の年末に92歳で亡くなり、大好きだった稲取の家にはもう誰も住んでいない。
親戚が、家の片付けと一緒に大きな庭も整備してしまったため、ミカンの木も無くなり、オシロイバナもあの場所で咲かなくなってしまった。
オシロイバナには遊び方があって、ガク(将来種子になる部分)を軽く引っ張ると、下からめしべの茎の部分が伸びてきてパラシュートのような形になる。
それを手を上に掲げて、高い場所から落とすと、ゆらゆらと地面に向かってゆっくり落ちていく。落下傘遊びだ。
大人になっても道端でオシロイバナを見つけると、花を一つ摘んではそのパラシュートを作っている。
暑かった今年の夏も、段々と終わりに近づいている。今年はあと何個作れるだろう。