古本屋まるちゃんの人生卑猥っす!
Netflixでクレヨンしんちゃんの映画『爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱』を観た。
ネタバレを恐れずに説明すると、ある日しんちゃんたちは、幼稚園でいじめっ子連中に猛然と立ち向かうマサオくんの姿を発見する。
マサオくんの急激な変化を不思議に思ったしんちゃんたちは、マサオくんが「ぷにぷに拳」というカンフーを習い始めたことを知り、一緒にぷにぷに拳を習い始める。
一方、春日部市では「ブラックパンダラーメン」という悪徳ラーメン屋さんが流行り出す。
ブラックパンダラーメンは「やみつきの秘孔」を突いた小麦粉を使用しており、一度食べた人間はブラックパンダラーメン無しではいられない凶暴な性格になってしまうのだ。
ブラックパンダラーメンのボスで「やみつき拳」の使い手でもあるドン・パンパンはぷにぷに拳の道場の地権を奪い、そこに新店舗を構えてラーメン屋のエリア拡大を図る。
ドン・パンパンの悪行を阻止するべく、しんちゃんたちとぷにぷに拳一番弟子、玉・蘭(たまらん)が奮闘するという話だ。
いつものように、しんちゃんたちがぷにぷに拳の道場を守るために、悪い敵と戦って勝利する、みたいな感じかなと思いながら観ていたけど、今回は違った。続きがあった。
悪徳ラーメン屋ブラックパンダラーメンのボス、ドン・パンパンは、玉蘭によるぷにぷに拳奥義「ぷにぷに真掌」によって敗れるが、玉蘭は「ぷにぷに真掌」という奥義を得たことであらゆる不正が許せなくなってしまう。
やがて正義を理由に町を徘徊し、ささいな出来事でも「悪いこと」だと決めつけて「ぷにぷに真掌」で住民を懲らしめてしまう。
生まれ育った町を守るために戦っていたはずの玉蘭が、いつの間にか孤立し、住民から恐怖の対象になってしまう。
映画を観ながら、「正義と悪」って何なんだろうと思ってしまった。
自分たちの利益を優先させて玉蘭たちの道場を奪おうとするドン・パンパンたちはたしかに悪い。一方で、あまりに正義を突き詰めて無害な人々まで傷つけてしまう玉蘭の姿も、もはや「正義」ではない。
振り返って、僕たちが生きるこの世界もまた玉蘭化している事実に気づく。
連日大量に放たれるネットニュースの中には、「この問題って、そこまで追求する問題か…?」と首を傾げたくなる記事が多い。
僕たちが日々、息苦しいとか生きづらいとか感じる原因の一つには、もしかしたらこの「行き過ぎた正義」があるのかもしれない。
クレヨンしんちゃんのこの映画は個人的にすごく面白かった。「どちらが正しくてどちらが悪い」と一筋縄では決められない結末にとても共感した。
日本には特定の宗教がない。一神教の国とは違い、宗教のない日本のような国に生まれると、二つの相対する意見があった場合の判断にとても迷う。
でも、そこが面白いと思う。神様に教義を尋ねられない状況で、自分たちだけで知恵を出し合い、善と悪について考えていく。
行き過ぎた正義によって暴走した玉蘭を食い止めようとした、しんちゃんたちの解決策も、彼ららしさが出ていてすごく良かった。
一定の教えが存在しないということは、自分で勝手に自分の教義を確立できる自由を持てるということだ。
自分の中に自分だけの神を持つ。それはある人にとってはラーメンであるかもしれないし、ある人にとっては恋人であるかもしれないし、またある人にはアニメであるかもしれない。
日本のアニメや漫画のクオリティが高く、これだけ世界に受け入れられているのも、もしかしたら日本にはこれだという神様や教義が存在しないからなのかもしれないなあと思ったりした。一人一人が自由に考える、これが神様であると信じて疑わないモノが、世界を面白くしていく。
映画の終盤での、しんちゃんの「蘭ちゃんの正義をやっつけにきたゾ!」というセリフがずっと耳に残っている。
アニメの世界でも、勧善懲悪でスッキリ完結では済まされなくなった世の中を思ってしまった。
この時代の正義と悪とは。これから先の善と悪は。考え続けることが大事だなあと思った。