sioちゃんのかみなりおこし

「あっ、私って実はやりすぎてるのかも」と息をしていて、歩いていて、お風呂に入っていて突然気づくことがある。今年気づいたことの中でも、特に大きかった3つの事柄について述べたいと思います。

【言語化しすぎない】

「なんか好き」や「なんか嫌い」は侮れない。

なんか嫌だなと思ったらとにかく距離を取る。ヒトでもモノでも。これは楽しく生きるためには必要なスキルだけど、時として距離が取れないこともある。私はそういう時、必死に言語化と分析を行いたがる。特に「なんか嫌い」なとき、この方法は悪手である。なぜなら余計嫌いになるからだ。ある対象に対して久しぶりに「とてつもなく嫌」という感情に支配された私は、これまで問題に対応してきた時に必ず行っていた「分析」を例に漏れずとことんやってしまった。理解を深め、視点を変えれば多少は好きになれるのではないか、許せるのではないか、という期待の裏返しであったと後から気づく。

期待とは裏腹にますますどんどん嫌いになっていく。「嫌悪」に成長したそれは「憎しみ」に近くなり、感情があっという間に支配されて揺さぶられやすくなる。だんだんと、戦争の遠因もこういう、人の揺れ動きやすい感情にあるのではないかと思い始める。

好きなヒトやモノに対してでも、その嫌いな要素を少しでも感じると、アレルギー反応のようにシャットアウトしたくなってしまう。好きなことすら汚染されていく。言語化したり明確化することで、物事を理解しようとしていた癖が全て裏目に出た。嫌いなものを言語化しすぎるとトラウマに成長してしまう。だからなんか嫌いな時は「なんとなく嫌い」のままにしておく。嫌いと思うことを許している。

【我慢して意見を伝えない】

「ブラック企業に勤めている人は、ブラック企業の存在に寄与している」。

新卒で働いていた時に、若くして自営業で独立した人に言われ、驚きつつも納得した。辞めた今だからこそわかるが、この世には山ほどまともな企業があると同時に、ブラックな企業もある。会社体制や経営者の原因のことが多いが、「全員そこそこ気のいい人たちなのに仕事が回らず、ストレスで全員そこそこ嫌なやつになっている」というパターンがある。問題は毎日その会社に行くことで、視野が狭くなり環境に適応してしまうことだ。生半可に適応能力がある人ほど我慢強い。

自分が子どもだった頃、周囲の大人たちは皆、「仕事は辛くて当たり前」と言っていた。

人間が生きていく上で我慢はつきもの、と言われて育ったが、そんなことはないと気づいたのは大人になってからだ。わがままし放題にして良い、ということでもない。自分と他人を比較したり優劣をつけたりせず、どちらも大切にしていれば自ずと答えは出る。自分ばかり極端に可愛がっても、人間というのは人が喜ぶのを見て自分も喜ぶようにできているから、次第に人生がつまらなくなってくるだろう。反対に他者ばかり大切にして自分を顧みず犠牲にしたところで、それは自己愛の延長である場合が多い(嫌われたくない、感謝されたい、見返りが欲しいなどの感情によるもの)。

必要なのは我慢ではなく意見を伝えること。独自の世界を持った人間同士なのだから、答えの擦り合わせを怠らないこと。距離を置くことや離れることも選べる、というのを忘れないこと。受動性が強いと搾取されがちなので、主体的であること。お互いに「お前イケてるな」って思えたらそれが幸せ。

【良いところもある、で誤魔化しすぎない】
私の周囲のとりわけ気性が穏やかで優しい人たちの、人間関係に悩んだ時に決まって「いいところもあるんだよね…」と眉を顰めて語る姿が昔から不思議だった。「その、いいところもあるだろう人にあなたは今、現在進行形で困っていて、何なら傷ついているのに?」と思いながら話を聞くことが多い。何ならその言葉を聞いた瞬間、「悪口にしたくない」、「自分の嫌いという気持ちを認めたくない」、「いい人でいたい」という強い感情、または思い込みを感じる。

この手の「良いところもある」と言われる人は、大抵は一皮剥くと自己愛の塊だったりする。最近は口を酸っぱく「ヤクザにだってヒトラーにだっていい所の一つくらいはあるんだよ。距離を近づけておくことを誰からも強制されていないでしょう。例え強制されていたとしても、自分の心が訴えているなら抵抗して距離を置いて良いでしょうに。自分と対話しないと答えは出ない」と返してしまっている。(本当はもっと優しい言い方で返したいのだけど、思いつかず)

ドナルド・トランプを支持するのも、齋藤元彦兵庫県知事を応援するのも、全部その人の選択だ。裏でどれだけ残酷な思想を持っていても、自分に優しかったり被害がなかったりすればいい、とは到底思えない。
自分が人生で大切にできることは限られている。時間も感情も肉体も限られている。彼らからその言葉を聞くたびに、無闇に大切(だと思わされている)なものを増やしすぎて、本当に大切にしたいものを取りこぼさないようにしたい、と思う。

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