sioちゃんのかみなりおこし
大学時代の写真を掘り起こしたくて、前に使っていたPCを起動した。
ノートPCなのにコンセントにずっと繋いでいないとすぐに電源が落ちてしまう、延命治療が必須の命である。だからこそ完全に壊れる前にデータを、特に写真データを取り出しておかなければならない、と思った。大学4年間と+αの思い出がそこに詰まっていると言っても過言ではない。当時、ひたすらお寺や神社、史跡などを周り、電車に乗り付随したグルメを食べ、「あ〜」と風景を眺めて、歴史に思いを馳せたりなどしてから帰る。そんなことをずっと続けていたから、もはや資料に近いものがあった。
ところがどっこい。約7年ほど相棒として活躍したそいつのログインパスワードが思い出せない。自分でも何故なのかわからない。直近では2年前ほど前に苦労せずログインできていたし、ましてや自分が忘れるはずないパスワードを設定しているのだ。何年もログインし続けたはずなのに、これっぽっちも思い出せない。何度か普段使っているパスワードを、過去の自分の思考を探りながら入れてみるものの、ログインできなかった。
「こんな日が来るとは思っていなかった」と思うことは日常でも節目でもちょいちょい感じることだが、この日は心底思った。軽い絶望と共に、学生時代の自分ともう会えない心地がした。PCが壊れてデータとおさらばすることはあっても、毎日入力し続けたパスワードを忘れる日がこんなに早く来ると想定できなかった。小中学生の時とは違い、学校側が立派なアルバムを作ってくれるわけもない。ましてや写真をプリントして残してもいない。
一つ明確になったのは、当時の私と今の私は別人であるということだ。意識が様変わりしているから、当時当たり前だったことから馴染みが消えたのだ。静岡を離れて京都に住んでいたものの、そこには理想郷など存在せず、それぞれの土地に合わせた地獄があるだけだった。オーバーツーリズムも差別もイカれたほどの長時間労働も。社会の歪みから人格が変わる様も、生粋の京都出身の若い世代がリアルに鬱屈して離れたがっているのも、街のキャパを超えて人がたくさんいてもなお、自治体にお金がないのも。
それらを垣間見ていた自分。日々の楽しさとは別に、ずっと不安と将来への絶望が影を落としながら、モラトリアムを過ごしていたあの頃の自分。お寺めぐりは観光や見学としての意味ももちろんあるが、仏に救いを求めていた部分もかなりある。仏像を前に手を合わせ、それを掘らせたのであろう昔の権力者に勝手に共感して帰っていく。「人の世はいつだって争いと苦しみが蔓延っているので、仏に救いを求めることに行き着きますよね」と。
きっと、私にとってもう不要のものになったんだろう。PCは破棄することにした。色々と手は尽くしたが、ログインパスワードを忘れるという初歩的で重大なミスを前にすると打つ手がないらしい。
それに、学生時代のデータが全て消えたわけではない。途中から写真をクラウドサービスに同期させていたし、LINEグループのアルバムで共有している写真はいつでも見られる。LINEさまさまである。そしてクソみたいな卒論も、紙で残しておいたからこそ読み返せる。
今この文章を打っているPCもなんだかんだ3年は使っている。そろそろデータのバックアップをしなくては、と思いながら結局今に至る。自分が同じ轍を踏みませんように。